夜の路地にて


 最近、町である噂が流れている。通り魔がでると言う噂だ。


     標的は町の不良たち。



        通り魔に出会った者は片耳を落とされると言う。











                      ――「耳狩り」――




       綺麗な月夜のそんなある日、少女が二人踊り狂う。



  ―「耳狩り」と「人喰い」―




 夜、宛もなく人気の無い路地を歩く少女。
少女の名は岬すみれ。
 すみれはある噂を聞いて隣町からこの町へやって来た。

 ゴミ箱を漁っていた野良犬がすみれに気づき、うなり声を上げる。
 すみれは呻る野良犬に目をやった。
 すると野良犬はビクンッと身体を震わせ、尻尾をたれ下げた。
 「キャイッン!」
 弱々しい声を上げ野良犬は夜の闇へと消えていった。
「失礼なヤツだ」
 それから路地を歩くこと五分、前方に制服姿の少女を見つけた。
何か気になる。そう思ったすみれは、少女に声をかけようと足を速めた。
少女との距離が近づくに連れ、気になる感覚が強くなっていく。

 「ねぇちょっといい?」
 「えっ何ですか?」
 突然声をかけられ少女は一瞬、怪訝な顔をしたが、すぐに警戒を解いた。すみれの格好が隣町でも有名な進学校の制服だった事が幸いしたようだ。
 「この町でさ、気になるウワサを聞いたんだけど、アンタ知ってる?」
 「うわさ、ですか。どんなうわさなんですか?」
 「それがね、何でも人喰いが出るってウワサらしいんだ、笑っちゃうでしょ」
 クスクスと笑いながらすみれは言った。
 その『人喰い』と言った瞬間、言葉に反応し一瞬だけ少女の表情が強ばった。
 その一瞬を、すみれは見逃さなかった。
 「人喰いですか。うーん、わたしは聞いたことありませんけど、そのうわさ流行ってるんですか?」
 表情はごまかせても、目はそうはいかない。
 未だに揺れているその目がそう語っている。
 「らしいよ。アタシも聞いた話しなんだけどねー」
 「そう何ですか。聞きたい事がそれだけならわたしはこれで」
 これ以上、関わりたくなさそうにやや早口で言う少女。
 それはそうだろう、時刻は深夜になろうというこの時間に見知らぬ少女に変な噂話を聞かれたら誰だってそうなるってものだ。
 「でもさ、意外だったわ」
気にせず喋るすみれ。口元には笑みが張り付いている。自分の勘を確信した笑みが。
 「ウワサの正体がこんな地味っ子だったなんて、ね!」


 ヒュン。


 少女の耳の脇を通り過ぎていくナイフ。
少女の耳の脇を通り過ぎていくナイフ。
 「キャッ!」
 一拍遅れて悲鳴を上げる少女。
 「ちょ、ちょっと何するんですか!?」
 と、取り乱しながら叫ぶ。
 気にせずナイフを振るうすみれ。
 後ろに下がりナイフから逃げようとする少女。
 その様を見てすみれはワザと鼻先を掠めるようにナイフを振った。
 後ろへ下がろうとしたが足がもつれ尻餅をつく少女。
 すみれは除夜を見下ろしながら、言った。
 「逃げてばっかりいないでさ、アタシに見せてよ。ウワサの人喰いってのヤツを……さ」
 「さっきから人喰い人喰いって、知らない人に何で言われなきゃいけないんですか!怒りますよ!」
 すみれは意外そうな顔をすると、フフンと笑うと、
 「ああ、それは簡単さ。するんだよ……アンタからさ」
 「な、何がです…?」
 すみれから目を反らさずに立ち上がる少女。
 すみれはそのまま続けた。
 「血の臭いがね…。こーゆー人気のない道を歩いていれば、もしかしたら会えるかもって思ってた。そしたらさアンタを見つけてさ。見つけた時コイツは何かある、と思って話してみたらアタリだ、ってね」
少女はふぅ、と観念した様な顔をすると俯きながら呟いた。
 「そうですか……そこまで言うなら、もう、どうなっても知りませんよ」
 そう言って少女、上原除夜は右手を振るった。

 ブンッ。
 ソレをバックステップで躱すすみれ。
 「へッ地味っ子、やればできんジャン。さ、やりあおうぜ」
 ヒューと口笛を吹くと感心したようにすみれは言った。

 「アンタのホンキ、見せてみなッ!」

 そう言うと、すみれは腰を落としナイフを抜いた。
 野球の野手のようなポーズだ。キンッキンと左右に持ったナイフを打ち鳴らし、結った髪が尻尾のように左右に揺られる。
 まるで猫化の動物のよう。猫と言っても大型の肉食獣、豹だ。
 舐めるようにじっと除夜を見つめる。

 除夜の瞳が赤い。
 フッフッと小刻みに息をしている。
 心なしか犬歯が伸びている。
 まるで『待て』といわれた犬のよう。
 少しずつ除夜の瞳から理性が失われ、内に秘めた獣性が少しずつ顔を覗かせていく。
 獣性の名は「餓え」飽く事の無い飢え。

 場の空気が濃く、重くなっていく。濃密な時間が過ぎていく。

 不意にすみれがペロリと唇を舐めた。

 それが、合図だった



 ダンッ。

 すみれが駆けた。

 一足で三メートルの距離を詰めると、除夜の腹部目掛けてナイフを振るった。
 除夜の腹部が、真一文字にぱっくりと切り裂いた。

 ナイフを通じて右手に確かな感触があった。
 血の花を咲かせバタリ、と倒れる除夜。
 勝負が決まるのは常に一瞬。
 両者の技量が高ければ高い程、拮抗していればしている程、それは一瞬で決まる。
 決まってしまえば驚く程呆気ない。勝負とはそういうものだ。
 「っふぅ。緊張感はあったけど、ちょっと物足りなかったな」
 深く息を吐くと、満足そうに笑いながらはナイフをホルスターにしまった。
 数歩、歩いた所で不意に足を止めた。
 「あ〜……救急車くらい呼んでやるか」
 そう呟くとブレザーのポケットから携帯電話を取り出した。
 ゾクッ。
 そこで背筋に嫌なモノが走しった。
 すみれは振り向くと、目を丸くした。
 携帯電話が手から滑り落ちるとカシャンと音がした。
 そこには腹部を赤く染めながら三日月の笑みを浮かべた除夜が立っていた。
 即死でないにしろ、重傷である事には間違いない。
 内臓は切らないようにはしたが、動けるような傷ではない。そういう風に切ったのだ。
 放っておけば間違いなく出血多量で死んでしまう。
 ましてや立ち上がるなどありえない。
 現に除夜の足元には既に血溜まりができている。
 なのに、嘲(わら)っている。
 三日月の笑みを浮かべながら。
 まるで、これからだと言わんばかりに……。
 「ふ、ふふ、うふふ…いたい。痛いわ、おなかが痛い。いたくていたくておなかが減ってしまったわ」
譫言のように呟く除夜。

 腹部を両手で押さえながらこちらを見ては言った。

 嬉しそうに、楽しそうに。
 「まさか、もう帰るなんて言わないわよね?まだ始まったばかりなんだから」
 ふらふらとこちらへ歩み寄ってくる除夜。
 すみれは相手が人外の化生である事にようやく気付いた。
 場は既に除夜の異常な空気に覆われている。
 「地味ッ子…。それがアンタのナカミってワケかい……。さっきまでネコ被ってたな」
 「ふ、ふふふ、フフフ」
 ペロ、ペロペロ…ズチュル……。

 溶けたアイスを舐めとるように、血で真っ赤に染まった指を美味しそうに舐める除夜。
 「ねぇ、アナタの血の色は何色?アナタのお肉はどんな味がするの?」
 「はぁッ!?血の色は何色だぁ?赤に決まってんだろ。オマエはどこの世紀末救世主だ」
 相手のペースに乗るまいと軽口を叩くすみれ。
 「どんな味がするのか、イマから楽しみだわ……。見たカンジ赤身が多そうだけど……。筋張ってないと良いんだけど……」
 「話し聞けよ……」
 思わず突っ込むすみれ。
 「アンタ、かなりイっちゃってるね。見た目に騙されたわ」
 ポリポリ頭を掻きながらすみれは言った。
 「でもね……」
 チャキィ。
 ナイフを十字に交差さに構え、
 「アタシも相当なもんだぜ?」


 除夜の右の手の爪が十センチほど伸びた。
 掬い上げるように右手を振った。
 プン、と蚊の鳴くような風切り音が聞こえた。

 左の二の腕を切られた。
 「くぅうっ」
 痛みに声が漏れる。
 白いブレザーに血が赤く滲んだ。
 
 その隙に除夜の左手がすみれの頭を掴もうと、伸びてくる。
 すみれは前へ踏み込みギリギリの所で左へ避ける。
 ちょうど両者が交差しすれ違う形になった。
 すみれはすれ違い様にナイフを振う。
 ピピッ。
 除夜の爪が頬を切り裂いた。
 スパッ。
 除夜の左肩を浅く切り裂いた。
 そのまますみれは駆け抜ける。

 速度を増す爪撃。
 弾く手が痺れる。
 ナイフと爪のぶつかる鈍い音が聞こえる。
 除夜のパワーの前に徐々に押されていく、ジリジリと後退していくすみれ。
 ヒュン。
 キィィン。
 十二合目の撃ち合いで、ついにすみれの右手に握られていたナイフが宙を舞った。
 すみれはクルクルと宙を舞うナイフに気を取られてした。
 「しまっ…」
 その瞬間、除夜の左の掌打が脇腹に突き刺さり、すみれの身体がくの字に曲がった。
 「ガハッ」
 乾いた音がすみれの口からこぼれた。
 除夜は右手で左肩を掴むとそのままブロック塀に押しつけた。
 「ぐふっ」
 背中の痛みにすみれが呻いた。
 その時、除夜と目があった。
 除夜は大きく口を開けた。電池中の光に照らされギラギラと輝く牙。

 ゾブリ。

 除夜はすみれ左肩に噛みついた。
 「ぐ…あっ」
 除夜は鎖骨の上を噛み付くと、皮膚を咀嚼する。
 ズチュ、ズチュ、ツツチュル。
 あふれ出る血液を零すまいと啜りながら肩の肉を少しずつ齧る。
 「うう…あ、かっ…」
 左手に握っていたナイフが落ち、カランと乾いた音がした。
 押さえつけられているため、除夜の顔を引き剥がすことができない。
 「こ、ォ……の、ォぉッ!」
 すみれは力を振り絞りブロック塀に両手を押し付け、力を入れた。
 ほんのちょっぴり隙間を作ると、すみれはブロック塀から右手を離すと背中に隠していた出刃包丁を引き抜き同時に切り上げた。

 振り上げた瞬間、飛び退く除夜。
 ピピッ。

 除夜のセーラー服とブラジャーが真っ二つに切られた肌が露になる。
 左手ではだけたセーラー服を押さえながら、すみれの右手に握れられた出刃包丁を凝視した。

 すみれは出刃包丁を突き付けると、
 「アンタは耳じゃ済まさない……おろしてやるッ!」
 すみれの瞳の狂気が一層輝きを増した。

 「アレっぽっちじゃたらないわ。骨の髄までしゃぶってあげる…」
 冷ややかに、虚ろな瞳がすみれを見据える。
 ペロッと頬に着いた血を舐めとる除夜。

 同時に構えた。
 除夜は右手を大きく引き、指先をそろえ貫手の形を取った。
 すみれは居合の様な体勢を更に捻り、右肩が正面に来ている。
 共に必殺。この一撃に防御など無意味。あるのは先に当たるか否かと言う事だけ。
 ダンッ
 瞬間、二人の脳裏には明確な未来が過ぎっていた。
 それは己が勝利するビジョン、そして己が負ける映像。
 除夜の貫手は手槍と化した。すみれの切り上げ。
 早さで負けるすみれは身を捻り全身のバネを使い、切り上げる。
 胸から肩まで切り裂かれる未来を。心臓を貫かれる未来を。二人は同時に幻視した。
 本来ならばリーチが同じなのだから突きを選ぶのが常道だ。しかしすみれは切り上げる事を選んだ。
 それは耳狩りとして鍛え上げた自らの技に対する自信の表れでもあった。
 そして瞬発力と全身のバネを最大限に活かす為この不自然な構えをとったのである。


 ザッ
 二人は同時に動き出した。
 ダンッ
 既に闘いと言うには血生臭すぎる。
 互いに必殺、すみれの出刃包丁による下段からの切り上げ。
 除夜の心臓を狙った貫手。
 身体能力で劣るすみれは身体を捻り全身のバネを使い跳ねた。
 除夜の貫手は手槍と化しすみれの心臓目がけて放たれた。


 渾身の一撃を放った瞬間、脳裏に二つの未来が過ぎった。
 それは己が勝利した未来。そして己が死した未来。天国と地獄、勝敗は常に紙一重。
 その時、一瞬ノイズの様なものが入った。

 頭に描いた軌道を出刃包丁がなぞっていく。
 胸を掠めていく除夜の右腕。
 「殺った!」
 すみれは確信した。


 「ふぅ、やれやれ。危ない所だった」
 二人の間にいつの間にか男が立っていた。
 男は右手で除夜の貫手を捌き、左手ですみれの右手首を掴むと、

 ブンッ

 そのまま除夜を左へ、すみれを右へ投げた。

 二人が繰り出したと同時に男は駆け出し、それをノイズとして感じでいた。
 気付いた時、宙を舞っていた。
 ぶつかる。そう思った時、腕をグイと引っ張られると、ぶつかる寸前で止まった。
 「今日のところはこの位にしておきなさい」
 二人を見下ろしながら、男は静かに言った。
 「だれ…?」
 「誰だッ!」
 「私かい?私は帰宅途中のサラリーマンさ」
 二人の手を離し落ちてきた鞄をキャッチすると、男はニィっと笑みを浮かべ言った。

 すみれは自分で起き上がるとバタバタと制服の埃を払うと大きく溜息をつきナイフをホルスターにしまった。
 「ハぁ……。もういい、しらけた。」
 「はえ?……たっ助かったぁ」
 まだ尻餅をついている除夜。
 どうやら先ほどの衝撃で正気に戻ったらしい。
 「おい、地味ッ子」
 「へ!?な、なななんですか。地味ッ子なんて呼ばないで下さい」
 「名前は」
 ぶっきらぼうにすみれがぼそりと言った。
 「へ」
 少し語気を荒げてすみれはもう一度言った。
 「だーかーら名前は」
 「か、上原除夜ですけど…」
 「ふーん『ジョヤ』ね、ウン覚えた。アタシは岬すみれ。また今度、今日の続きをやろうねジョヤ。んじゃバイバイ」
 もう用は無いと言わんばかりにくるりと背を向け歩き出すすみれ。
 「あ、ハイさよなら岬さん」
 「スミレでいいよ」
 と背中越しに答え、手で「さよなら」とヒラヒラさせながら夜の中へ消えていった。
 「いいのかい。彼女はああ言っていたけど?」
 一連のやりとりを見て男が声をかけた。
 「えっ!?何がですか……って、あ…つ、続きなんてやりませんからね!ゼッタイやりませんからねーーー!」
 言葉の意味を理解し慌てる除夜。
 
 「あ、さっきはありがとうございました」
 
 「気にしなくて良いよ。にしてもこれから大変だねぇ。ま長い人生こういう事もあるさ。元気を出したまえ」
 ハッハッハと快活に笑う男。男は腕を組み、うんうんと頷く。
 「さて、あまり長居をしているとあらぬ誤解を受けてしまいそうだ。しかし、君をこのまま置いていくのも心苦しい。よし、今日の所はコレを羽織って帰りなさい」
 そう言うと男は着ていたスーツを除夜にかけた。
 「よし、では私はこれで。気をつけて帰るんだよ」
 慌ててお礼を言う除夜。
 「は、はい分かりました。ありがとうございます…ってあれッもういなくなってる!?」
 男は忽然と姿を消していた。
 まるで夢のような出来事の連続。もっとも夢と言っても悪夢のたぐいではあるが、疲れた顔をしながら除夜は路地を後にした。
 
 
 ブロック塀に穴が明けられた、と住民が騒ぐのは翌朝の事だった。


 
 ひとまず完

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