道化師―PIERROT―



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夜の街を一人の男が歩いている。この街は彼の物だ。
彼はこの街の支配者だ。全ての物が、命が、彼の思いのまま。
今宵も彼は街を歩く。子供がお気に入りの玩具(おもちゃ)で遊ぶように、渾身の大作を愛でる芸術家のように、彼は自分の街を歩く。
二百年続いたその習慣も今日までだが。


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その日、街には珍しい出来事があった。
この街に人が訪れたのだ。
この街は彼が造った箱庭(ジオラマ)、彼は街の住人達を操り、虚像の街と虚像の役者達。全てが彼の意のままに動く。
さしずめここは人形劇。

故に異分子(イレギュラー)を彼は嫌う。
異分子は何をするか分からない。故に自分の舞台を邪魔される事が許せないのだ。
そう、この街は彼の聖域。彼の許可無く訪れる者は何人たりとも許さない。
「早急に異分子を排除し、シナリオを元に戻さねば。私の完璧な美しいシナリオに……」
彼は自分に酔っていた。一分の乱れもない完全に調律された下僕(役者)達。彼の画く珠玉のシナリオを完璧に演じきる役者達。

ソレを成し得た自分に。

彼の自己陶酔は既に信仰の域に達していた。
彼は今までの二百年間をずっとソレを繰り返してきた。

だからこそ、彼の舞台を邪魔する者を許さない。
彼は街中の下僕達に無粋な侵入者を始末するように命じると、自らもまた侵入者を捜す為、街に出た。
なぶり殺しにされる様を見れば少しは溜飲も下がろう。

それに出来る事なら自らの手で制裁を下したいと思うのが人情というものだ、と彼は思った。


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彼は三百年の時を生きる“死徒”と呼ばれる吸血鬼であった。
この街を根城にして二百予年。彼の関心は根城にして以来、目下この街にある。
否この街にしかない。世界がどうなろうと知った事ではない。
住人達の命を食らい尽くし、街を“死都”として以来、いや、この場合は”死街”とよぶべきか。
この街のみを領地とし日夜、自分の造ったシナリオ通り街を操っている。
何度も何度も、同じシナリオを何年も何年も、二百年の間、今日までずっと繰り返してきたのだ。

偏執的なまでに人避けの結界を張り巡らせ二百年の間、他者を寄せ付けなかったこの街に。
来訪者が、彼の許可無く訪れたのである。

おかしい。彼は思った。異分子がこの街に入り込んでもう三十分になる。未だ侵入者を発見したという報告が入ってこない。
むしろ下僕達が減っているのを感じる。
馬鹿な、この街でそんな蛮行が許されていいハズがない。無知で無粋な来訪者に私の舞台をこれ以上狂わされてなるものか。
未だ侵入者が何者なのか彼は知らない。
侵入者は一人。たった一人でこの“死都”を落とそうというのか。
それとも自分の命が目当てなのか?分からない。
分からないが、どちらにせよそんな事を考える者は自ずと絞られてくる。
恐らく教会か境界の連中だろう。自分の立場を考えると協会とは考え難い。
と、すれば答えは一つ。

「代行者か……」

正体不明の侵入者を教会の薄汚い始末屋、代行者(エグゼキューター)と定めた彼は街の広場へと向かった。
「ならば少々遊んでやろう」
広場に降り立つと両目を瞑り、おもむろに両腕を振り上げた。
突如、街中の吸血鬼(グール)達の動きがピタリと止まる。
それはまるでネジの切れたぜんまい人形のように、吸血鬼達は動かぬ彫像と化した。

「――二番――七番―――十二、十三、十五、――二十二、二十三、――三十五、三十七番――フム欠員は既に九名か……。
獲物は予想以上に活きがいいようだ。これは遊び堪えがありそうだ。
さて、これ以上の欠員が出る前に本気を出すとしよう。
では諸君、少し遅くなってしまったが今宵の幕をあげるとしよう。 開幕だ」
カッと目を開き、指揮者のように腕を振り出す彼。
彫像と化していた吸血鬼達が一斉に動き出す。先ほどまでとは違う、訓練された軍隊の行進を連想させる一。
これが彼の死徒としての超抜能力“操者(コンダクター)”と呼ばれるものだ。 個としてバラバラだった吸血鬼達が彼の号令により統率された軍隊として動きだす。
そうだ、少し本気を出してやれば代行者と言っても所詮は人間。どうという事はない。
「この街に許可無く入った事を後悔するがいい」
彼は誰に言うでもなくポツリと呟いた。
嗜虐の愉悦から自然と口の端に微笑みを浮かべる。

彼は依然として来訪者の正体を知らない。

それが彼の最初にして最大の過ちだった。


/3
何故だ?何故見つからぬ。獲物はどこだ。どこに潜んでいるのだ。
彼が指揮を始めて十分がたつ。彼の鍛え抜かれた手足達がくまなく捜索しているのだ。
見つからない事などあり得ない。
「今宵の獲物は隠れるのが得意とみえる。ならば趣向を変えるとしよう。いくら隠れるのが得意と言えど、ここは私の庭。これ以上好きにはさせん」
クイと彼が腕を振ると、突如街が一斉に揺れ出した。
五秒ほどで揺れは納まった。
「どうやらかかったようだな。見つけたぞ」
嗜虐の微笑みが浮かび上がる。
楽しい狩りの時間が始まる。そう思った。異分子の側には五体の下僕達が近くにいた。
彼はその五体の下僕達を手足の如く操り、異分子に飛びかかる五体の吸血鬼達。
蓋を開けてみれば何てことはない。
以外に呆気ないモノだ。そう彼は思った。
次の瞬間ブツン、回線が切れた感覚に彼は襲われた。
操者により強化された五体の吸血鬼達が一瞬にして殺されたのである。
どれも即死。一体どんな手品を使ったというのか。すぐ様側にいる下僕達を集める。
この街にいる下僕は全部で五十二体。それが九体、そしてたった今、五体も殺されてしまった。
彼の死徒は数こそ少ないものの、死徒の間では精鋭揃いで有名だった。
それが今宵だけで十四体殺されているのである。
しかもそれだけ殺されているというのに殺害方法が分からないというのだ。
一抹の不安が過ぎる。そうしている間にも下僕達は男の周りに集まってくる。
「そうだ囲め!依然優位は変わりないのだ。どんな手品をもっていようが人間如きが我ら死徒に勝てる訳がない!」
自らに言い聞かせるように叱咤する彼。
集まった二十三体が男の周囲を取り囲むように壁を形成した。程なくして総勢三十八体の吸血鬼による、肉の壁が完成した。
後から続々と吸血鬼達が集まり、壁をより強固なモノにしている。
数の優位と取り囲んだという状況から徐々に冷静さを取り戻してきた彼は人海戦術に出た。
先ほどは本気を出すまでもないと、手加減したのがいけなかったのだ。次は手加減なしの本気でいく。
それで何も問題ないではないか。まぁ敵を侮った為こちらの損失は大きかったが、今回の件を良い教訓としよう。そう彼の中で結論が出た。
既に勝敗は決した。これから行われるのは狩りでも、まして戦闘でもない。圧倒的な戦力差による殺戮、蹂躙だ。

四方八方から次々と飛びかかる吸血鬼達。
相手が如何に優れていようと多勢に無勢では隙が出来る。そこをつけばいいのだ。
そう、もう一度言おう。これから行われるのは戦闘ではない。圧倒的な殺戮、蹂躙だった。
男は一歩も動かず、飛びかかる吸血鬼の群を打ち落とし、殺していく。
肉の壁により作られた密室。そこは既に男の領域、殺戮空間と化していたのであった。
次々と屍の山を築き上げる男。
操者の能力によりそれを視ている彼は戦慄した。
どれだけの時がたっただろうか。五分にも十分にも感じられる。
そこに吸血鬼達の壁は無く、屍の山と血に濡れた一人の男が立っているだけであった。屍の山は灰の山と化し、風と共に宙にまって土に帰る。
男はポケットから眼鏡を取り出しすとかけ直すと、広場に向かって散歩をするような気軽さで歩き出したのだった。


/4
現在この街にいる者はたった二人。一人は自分。もう一人は眼前に立つ男。

彼の吸血鬼としての個体能力は並だが、彼の超抜能力“操者”は自分の支配下の吸血鬼と感応し、操る能力。
この能力を使う事で彼と彼の下僕達は一個の個となる。それが死者を操る事に懸けては死徒の中でもトップクラスの実力を誇る。そのはずだった。
「ば、馬鹿な、私の下僕達の気配が全て消えた。ここに来るまでに、全て殺し尽くして来たというのか。信じられん……」

認めよう眼前の男は死神だ。圧倒的なまでの死の具現。悠然とこちらに近づいてくる死神。
そこには一切の気負いすらない。散歩するような気軽さだ。 ズルリ。右腕が肘の部分からスライドした。溢れ出る鮮血。止まらない鮮血はすぐに血の川を作り出す。
右腕が地面に落ち、ゴトと言う重い音がした。その時始めて彼は右腕を切られた事に気づいた。
「う、うわああああああ!」
反射的に左腕を振るう。振るった瞬間に彼は悟ってしまった。自分は選択を誤った事を……。
振るった左腕は男に届く前に三分割された。彼は左腕を囮に男を飛び越え、向かい側にある建物の屋根に着地した。
痛い。痛い。痛い。
屋根から屋根へと飛び移りながら逃げる。
痛い。痛い。痛い。
死徒となってから初めての痛み、否ここまで強烈な痛みは生まれて初めてだ。
迫り来る死の実感。それと同時に自らの生を、いま生きている事実を強く実感する。
少しでも遠くへ、あの恐ろしい死の具現から逃れる為に。
死にたくない。まだ死にたくない、と心の底から叫ぶ声が聞こえる。
あんな化物に自分は戦っていたのかう事実。
死徒となり、人間よりも高次の存在となったという自身の慢心に彼は憤慨していた。
必死で逃げながらも彼は薄々気づいているのだ。
助からない、自分は助からないと、あの死神が自分を逃がす訳がない。あれから逃げ切るに事は出来ない。彼の直感がそう言っている。
しかし彼のプライドが、生きたいという執念がその言葉から耳を塞ぐ。
何度地を蹴っただろうか、数度目の着地で不意に左足に違和感が生じた。
膝から力が抜ける感覚。バランスを崩した彼はたまらず左膝をついた。
すぐに立ち上がろうとするが足下が滑って上手く立ち上がれない。
恐る恐る足元に目を向けると、左足が膝の辺りから無くなっていた。
足下には血溜まりでぬかるんでいる。

足下から後ろに視線を向けると、そこには死神が悠然とこちらに向かってくる。
「ヒッヒィィ」
たまらず片足だけで走り出す彼。
残った右足で地を蹴った瞬間、腰の辺りから力が抜ける。
ズルリ、とスライドする下半身。地を蹴った勢いで彼は数メートル先に飛ばされる形になった。
そう、既に彼が逃げた時点で決着はついていたのだ。
逃げなければ、追いつかれたら最後、殺される。殺される。殺サレル。コロサレル。
死への強迫観念からイモムシのように無様に体を引き摺りながら少しでも遠くへ逃げようとする。
血の後を辿り死神が一歩一歩近づいてくる。
気が狂ってしまいそうになるが、痛みのせいで正気に戻されてしまう。

不意にトス、という渇いた音が聞こえた。
上を見上げるとそこには自分の背中にナイフが突き立てられていた。
「あ、ああああ、あぁ」
あまりのあっけなさに言葉が出ない。全身に痺れるような鋭い痛みが走った。死の実感が全身を駆け巡る。彼は灰となって宙に散った。
ざあ、と風が吹いた。
この街には死神だけが残った。








*エピローグは冊子版に掲載しております。

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